特集

【第16回公演】「演出家 松永太郎」特別インタビュー 

演出家 松永太郎さん

☆郷土芸能をこよなく愛し、次世代に繋げ育てる演出家
ヒメヒコ歴:16年目
鹿屋市出身。県立鹿屋高校~筑波大学を経て、沖縄に移住。2006年より故郷の鹿児島を中心に演出家として活動を始め、鹿児島や黒潮文化を題材としたミュージカル「ヒメとヒコ」や「ヤジロウと海乱鬼」「えらぶ百合物語」などを手がける。2015年の第30回国民文化祭かごしま2015では、総合開閉会式やミュージカル「花戦さ」の演出を行った。「ヒメとヒコ」キャストのOBやOGが在籍する鹿屋市発の「劇団ニライスタジオ」代表でもあり、2022年12月には「吾平物語」イベントの中で初披露となった「吾平神楽(かぐら)」の演出を手掛けている。

― では「太郎さん」からお話を聞きたいと思います。よろしくお願いします。

― (ゲストインタビュアー)よろしくお願いします。

お願いします。

― 今年はコロナの関係で、高校生以下の方が舞台を見れなかったからかどうかは分からないんですけど、新しい1年生の子が入らなかったですね。

そうですね。公演で見てもらうことができなかったっていうのは、やっぱ一つは大きいな、とも思いますね。

― はい。私も、その本番で舞台をするっていう、演じることを本当に目の前で見てもらうっていうのが、どれほど大事なことかっていうのを、ものすごく思いました。

そうなんですよね。僕も演劇の根幹に関わるものだと思って、生と映像って、全然違いますし・・・

― 公演が終わってから、映像も見たんですが、やっぱり見れば、あ~すごい!って、見るだけで感動もするし、心にグッて来るんですけど、でもなんかそれだけじゃないっていうところが、やっぱり生の、あの舞台っていうのは違うんだなって思いますね。

映像は映像で、鑑賞するものとして、すごく楽しめると思うんだけれども、目の前で人間が動いててっていう、そのインパクトの大きさ、同じ空間にいるっていう、それはやっぱり、自分はやってみたいっていう気持ちにさせるんですけど、ちょっとやっぱり映像だと遠いものになっちゃう気がするんですよね。

― 高揚感が違うというか。

なんかね、(映像は)画面の中の世界みたいで。

― そうなんですよね。

それは、生の舞台でこそですよね。

― そうですね。メンバーの子たちがいつも「キラキラしてた」っていう言葉をよく使うんですけど、やっぱり舞台を観てみんながキラキラしてるっていうのが自分に伝わるし、そこにやっぱり感動して、自分もキラキラ輝きたいみたいな気持ちになって、ヒメヒコに入りますって言って、舞台の終わった直後に来る子もいるじゃないですか。なんか、やっぱりそれってすごく大事っていうか、そういう経験、自分の持ってる感性で感じるっていうのが、特にその高校生の時にっていうのが大事というか、すごくいい経験だなって思います。

うん、やっぱ僕らもね、改めて、生の舞台っていうことの力をですね・・・

― そうなんですよ!本当、その「力」って今言われたんですけど、それってすごい!って思って、なんか本当に微々たるものなんですけど、そういう映像とかをかのやファン倶楽部なんかで、ちょっと紹介したりさせて頂いたしたんですけど、それだけじゃやっぱりダメなんだっていうのはすごく思いました。

映像は映像で、また違う良さはもちろんあるし、本番を見た人がまた映像を見て感動を得られるとか、映像の方が意外とより視点も固定されてるわけですから、お話はわかりやすいと思うんです。だけど、生の舞台ってなると、観客がどこを見るかって自由ですからね。自分が気に入ったところを見るんですね。見たいところを。そんないろんな違いがありますね。

― そうですね~。そんな中で、今年のヒメヒコは、どんな風に進めてらっしゃたんですか。

ん~、そうですね~。やっぱりメンバーが変わらないので・・・ある意味・・・

― あ、そっか。そうですね。

マンネリ化しないようにっていうのは、自分の中ではありましたね。新しい子が入ってくると、やっぱり新しい化学変化が起きるんですよ。特に、真ん中の学年っていうのは、今まで先輩しかいなかったのに後輩が入ってくるっていうことで、実はぐっとこうね、僕がいくら指導してもできない変化があるんですけども、(今年は)先輩になれなかったっていう・・・・・それがめちゃくちゃ大きいですね

― あ~、そうだったんですね~。

だから、演出家が指導するものはもちろんあるんですけれども、あの1・2・3年生の人間関係の中っていうか、小さい「社会」の中で、勝手に成長するのってすごくあると思うんですよね。だから、そこの部分がやっぱり、どうしても薄くなってしまったところがありましたね。

― そうなんですね。そうですね。真ん中っていうのは、そういう意味では、すごくなんかいろいろ考えさせられるというか、一番成長できる時期なのかもしれないですよね。

そうなんですよ。後輩が、実は先輩を育ててくれるっていうのが、絶対ありますよね。
生徒が先生を育てるっていうのもあるみたいに。

― なるほど~。確かにそうですよね。

自分でいつも思うんですけど、僕が演出家だから作品ができたんじゃなくて、作品を作らせてもらったから演出家になれたし、演者がいるから、演者に演出家にさせてもらったっていう。

― すごいなあ~そうなんですね。育てる、育てられるっていうのは、お互いなんですね。

お互いです。

― だから、毎年、毎年、いい新しいものができていくんでしょうね。今年はその中でも、なんとかその新しい科学変化を生み出していくとか、刺激を与えて何かしていかないといけなかったかと思うんですけど、その策というか、そんなのはあったんですか?

ん~・・・でも、いつも通りかな・・・。いつも通り基本的なことをきっちりやるっていうことだった気もしますね。
あと、夏合宿っていうか、キャンプしてますから、・・・変わるんですよね。稽古してる時とか稽古場ではやっぱり見つけられない、キャストの個性とか、そういったものにすごく出会いますね。

― へ~、そうなんですね!

延々語る時間って、なかなかないわけですよ。稽古中っていうのは。だけど、そういうキャンプとか合宿の夜っていうのは、何時まででも語っていられますからね。

― 今年の夏のキャンプもそんな感じだったんですか?

そうですね。

― 今年は初めて神野でしたね。あそこは、川遊びとかできるし、山登りっていうか、滝めぐりとかもできて良かったと思いますけど。その中で、メンバー同士も、あ、この子はこんなところもあるんだみたいな発見とかあると思いますし。

やっぱり、仲いいだけじゃやっぱダメで、小さい社会の中で絶対思い通りにならないことがあるじゃないですか。当たり前のように。だけど、演劇って、結局、人が生きてて・・・ドラマですよね。自分の理想と葛藤のドラマだと思うので、それを演じるっていう意味では、やっぱりいろいろ悩みがあったりとか、ぶつかったりとかっていうのも、僕は絶対あった方がいいと思うので。

― そうですね。

表面的に仲いいことがいいかっていうと、全然そういうことではないと思ってるんですよ。そういう濃密な時間っていうのは、やっぱあった方がいいし。

― そうですよね。お稽古とか時間じゃなくて、一緒にいて何か別のことをする時間ですよね。

そうですね。一緒に難儀をするっていうのが一番心を近くする方法だと思ってるんで(笑)

― あ~、そうですよね~。

だから、自分と相手は違うんだけど、いろんな違いの中で、でも、一緒に難儀をする中で折り合いをつけるっていうことを学んでいくと思うんですよね。

― そうそう、そうですよね。本当にそうです。私もよく、「折り合いをつける」っていう言葉を使うんですけど、まさにそうで、まあ、人生、本当にそういうことばっかりじゃないですか。自分の思い通りにいかないし、自分の理想の人たちばっかりじゃないわけだし、でも、その一つのグループとか社会の中で、みんながうまくやっていく、幸せだと感じれるようにやっていくためには、どうしたらいいのかっていうことを、やっぱり考え続けてかないと思っていて、そういう場がね、やっぱり必要だっていうことですよね。たぶん学校とかそういう大きな社会の中では、というかその体系の中では、それこそ先生のこと聞いとけばとか、授業を静かに聞いとけばとか、まあまあ適当にやっとけばって。でも、ヒメヒコのそういうのって本当濃いんですよね。時間の過ごし方が、たぶん密で濃いからこそ、なんかそこでじっくり考えられるし、気が付いたりとか、本当にその「折り合い」をどうつけていくかっていうことを深く考えますよね。

そうですね。常に問題解決ですよね。演技もそうなんですよ。

― あ~、そうなんですか。

演技を考えると・・・やっぱり演技って、ものまねのうまさではないので、だから、自分をどう見せるかっていう技術と、自分がその役そのものになりきれるかっていう、ある意味相反する2つのことを高い次元で両立しないといけないんですよ。だから、そういう時に客観的に自分を見るとか、相手が何を求めてるのかを察知するとか、その辺の認知力みたいなのが大事ですよね。

― ある程度、自分を客観的に見ないといけないところが出てくるわけですよね。若いし経験がないんと思うんですけど、そういう訓練によって導けるものなんですか。

演劇もそうですし、例えば、簡単なスピーチとかもそうですけれども、場数によって人ってやっぱ成長しますよね。ってことを考えると、やっぱり繰り返して訓練することで、自分を客観的に見ることとか、落ち着いてそれができるよう訓練されるんじゃないかなと思ってますけどね。

― 社会人になって、私もたまにセミナーなんかするんですけど、緊張したり、自分の本来やりたいことを出せないことが結構あるんですけど、やっぱり年に数回するぐらいじゃなかなか難しいとこがありますね。

その通りだと思います。やっぱり落ち着いて同じことをできるかっていうか、普段当たり前にできることでも、やっぱパニくってる時とか、環境が違う時ってできないもんじゃないですか。だから、その影響はもう大きいんだっていうのを、分かっておくことが大事かなと思いますね。僕よく言うんですけど、例えば30センチ幅の柱の上を、地面に置いた柱の上だったら歩けるけど、それが地上100メートルの高さだったら、絶対歩けないですよね。同じ運動のはずなのに、理屈としては。だけど、やっぱり人間、自分の気持ち、精神の状態によって、できるはずのことしかできなくなったりしますからね。だから、そっちをどう整えるかっていうことも大事ですよね。

― あ~そうなんですね。

演劇って、やっぱり周りを見るってことがすごく大事で、例えば、映像だったら映画とか作る時って、別に観客っていないわけですね。だから、監督の指示されたことをずっとやっていて、それをいろんな角度から撮ったり、切り取っていくと思うんですけど、演劇ってのは、お客さんあって初めて始まるものなので、その時のお客さんがどういう雰囲気を出してるかとか、どういう気持ちを持ってるかっていうのは、分かるんですよ。感じるんですよ。で、それを感じながら、自分の演技を自分も出していかないといけないし、お客さんも役者側の気持ちとか、役者が本当に楽しんでるなとか、硬いなってリアルに分かっていて、ホントにお客さんと作ってくんですよ。そういう意味で言うとね、周りを見るとか、周りを感じるっていうのは、めちゃくちゃ大事ですね。

― その余裕っていうか、舞台の子たちはみんなそれを感じとれてるっていうね。

だから、小さいイベントとかで、ちょっとアトラクションで出演したりすることっていうのは、それを感じられるすごく大事な機会なんですよね。見てる人がいると、何が起きるんだって、自分の中に。いい影響も悪い影響も両方あると思うんだけども、だけど、それから逃げらんないんですよね。結局本番っていうのは、大勢の人の前でやるものなので。

― そうですよね。

― ヒメヒコの舞台で、堂々と演じるってことは、緊張とか、そういうのもクリアしてるんで、いろんな場面で応用が利くのかなと思うんですけど。

利くと思いますよ~。

― みんながプロの演劇家になるわけじゃないから、社会のためにどういう作用があるんだろうといろいろ考えるんですけど、プレゼンでもなんでも堂々とできると思うんですよね。

そうですね。人前に立つ時にですよ、やっぱ落ち着いて人前に立てると思いますよ。

― 冷静に、平常心でできるって難しいですもんね。

そうですね。その訓練はかなりできてるはずですよね。だし、あと、お客さんをもっと味方につけていくっていうか、その空気を自分の見方にしていくっていうところまで、たぶんいけると思うんでね。それ身につけてたらね~、社会に出て大きいですよね。ぜひ身につけてほしいなと思います。

― 社会に出てからは、なかなか経験できないことですもんね。

あとこれ、あんまり学校で経験できないんですよね。

― そうそう。

カリキュラムにあるわけでもないし。人前であがらないという、トレーニングってないじゃないですか。これって、すごく、そのまま社会に出てから左右しますよね。めちゃくちゃ大きい能力だと思いますね。だから、こういうのって「演劇」が、すごく教育的な側面をもってます。

― この前文化祭があった時に、(ヒメヒコで歌を披露しましたが)あの演出には本当にすごく感動して涙が出ました。1曲2曲歌うだけの、ほんの短い時間なんですけど、演出の仕方でみんなが活きるっていうんですかね、見せ場で活きるっていうか、それがすごいなと思って。

文化祭はいろんなパフォーマンスがそれぞれ出るので、そういう中でヒメヒコらしさっていうか、ミュージカルとか演劇をやってるものにしかやっぱり出せないものを出したいな、と思ったので。

― そうだったんですね。

単純に合唱だったら合唱だけになるんですけど、だけど他が持ってないものを、ヒメヒコっていう演劇をやってるからこそ持ってるものを歌の中に出していくっていうのは、かなり意識し演出しました。

― だから、なんか合唱とは聞いていたので、普通に考えたら、舞台の上で並んで、みんなで一生懸命歌うっていうことしか思い浮かばなかったんですけど、なんかもう幕を下ろして、その前で、動きを入れながら、その前でこう、本当になんだろう・・・すごかった(笑)。感動したんですけどね。演出の力って、やっぱりそこなんだなっていうことを、すごく思いましたね。

歌の練習以上に、ああやって自分の感情を解き放つというか、しっかりと表現して出す練習の方を、いっぱいしました。

― あ、そうなんですね!へ~。

ああいうトレーニングってのは、学校じゃなかなかないですよ。

― 歌だったら、上手に歌えるかどうかっていうことじゃないですか。学校だったら。声が良かったり、歌い方や音程が合ってるとか、そういう感じで評価されてしまうんですけど、なんかやっぱり人を感動させるものっていうか、人の心に届くものってそうじゃないなって思うんですね。

だから、正確に歌うっていうことも、もちろん大事なんですけども、それとエモーショナルの部分、自分がどういう歌詞を、何のために、どの立場で歌ってるのかっていう、エモーショナルな部分をやっぱり両立させるっていうのが、演劇の一番難しくて、おもしろいところですね。高い次元で両立させるっていう。これが、一番難しいですね。

― 真似じゃなくてね。

もちろん、技術的な練習も大事なんですよ。それはもちろんできた上で。

― なりきるんでしょう?

― そう、だからさっきの話じゃないけど、ただ役になってなりきるだけでは、その感動的なというか、見てるお客さんはおもしろくないっていうか、やっぱりそこに今のエモーショナル的なものが乗っかって初めて伝わって、お互いに観客とその演技する人が繋がるっていうか、感じ合えるっていうか、そういうことですかね。

なりきるっていうのを、なんかこう技術で捉えちゃうと、なりきってるフリだ、みたいな感じになっちゃうんです。

― そうなんですね(笑)

演劇であるんです。それは2段階目なんですけど、最初の段階は、そのなりきるのも恥ずかしいからできないんです(笑)で、その次は、なりきってる風を演じちゃうんです。本当になりきるっていうのは、やっぱり、自分でもコントロールできないような、自分の中の野性みたいなものような感覚なんだと思うんですね。

― へ~。

だから、それと冷静に決まってることを両立させるっていうのは、やっぱ難しいですね。だけど、両方あるからやっぱり感動するし、人はやっぱりその歌を信じてくれるわけですよ。本当にそう思ってるっていうか、その一瞬だけでもぐっと引きつけられるのは、やっぱ、ヒメヒコの演技でも、やっぱそれぞれの役を、ちゃんと生きてるっていうことなんですよね。なりきってる風じゃない。それ、お客さんにバレるんです(笑)

― あ~、そうなんですね~。

だから、その、「なりきってる風」と「本当になりきる」のところが、やっぱり一つの大きなね~・・・

― じゃあ、こいつはもうそこまでいったとか、分かるんですか?

そこは、最初のステップは、恥ずかしくてなりきれないみたいなところから始まるから、そこクリアするのはすぐなんですよ。そっから、その次の、本当の意味で、演劇という台本の中にある、ある意味嘘(うそ)の中で本当になるのは難しい・・・難しいけど、やっぱ本番近づくにつれて、本番中に覚醒したりとか・・・

― そんなことがあるんですね。

だから、もう去年の祈里、ノロの役やって、逆に入りすぎて戻ってこない(笑)終わったのに、戻ってこれない(笑)

― あ~(笑)

自分の出番が終わったのに、もう入りすぎちゃって、自分に戻れないみたいなことがありましたからね。舞台袖とかでも、自分のドラマの中の自分から、もう抜け出せない。

― その世界に入ってるんですね。

そのショッキングな出来事とかが、台本上で起きてることが、もう本気で自分の中で起きてるんですね。

― は~・・・すごいですね~・・・

でもその時の演技って、神がかってるんですよ。も~お客さんをガァッって惹(ひ)きつけます。

― うわぁ、そうなんですね~。

それがステップ2なんです。その準備はしていかないといけないです。それを引き出せる。そう簡単じゃないです。

― あの時確かね、本当に泣いて演技してたんですよね。で、泣いて、本当に心の底から演技してるっていうの、もちろん分かったんですけど、例えば、俳優さんとか女優さんとかって、思っただけで涙とか出せちゃったりするじゃないですか。ああいうのは、また演技なんですか。

まあ、その技術的な部分ももちろんあるとは思うんですけれども、でもまあ、本当にそのプロの俳優の仕事っていうか、俳優が俳優たるゆえんは、やっぱりそのスイッチを持ってるってということですよね。

― あ、そういうことなんですね。

いろんな人の人生、いろんな人にも本当になれるし。

― その世界にぱっと入ったり、出たりできるんですよね。きっと、コントロールができるんですね。あと、あのさっきのモノマネの話じゃないんですけど、モノマネの芸人さんたちとかいるじゃないですか。すごく、上手い。ああいうのは、どの辺に入るんですかね?
ふり風ではないじゃないですか。

はいはい。

― でもまあプロでやってるわけだから、なりきりの人とか、すごい似てるじゃないですか。

あ~でも、モノマネの人って、デフォルメしてるっていうか、

― あ~、そっか。

たぶん本物のコピーだとおもしろくないと思うんですよ。ある意味、本物を超えるというか、本物よりも本物っぽいって思わせる人が、その人っていう認識するような癖とか、そういったものを実はすごい冷静に抽出して、それをもっと大袈裟にしていってっていう、もう職人技だと思いますよ。

― あ~、そこがやっぱりプロなんですね。あー、なるほどですね。すごい納得。

人が似ているって思うのは、たぶん、姿形がそれに近いっていうことよりも、その人を連想させるなんらかの特徴、普通の人が意識しないような特徴とかを、うまいこと抜き出してってことじゃないですかね。

― そっか。だからプロとしてそういうのが成り立つっていう。芸人として。

たぶん、それをすることでお客さんにはやっぱりささってフィットするっていう、そう分かってやってると思いますね。

― いや~、ちょっと通じるとこがあるなと思って、なりきりって言っても、似てればいいっていうものではない。

だから、ヒメヒコの稽古で一番言うのは、とにかく、去年の先輩たちの演技とか、去年の自分の演技とかにとらわれるなと。

― あ~、なるほど。

最初はやっぱり、見本になるものがほしいから、どうしてもそれを参考にはしちゃうんだけど、そっから抜け出せないことも多いんですよね。で、本人もなんでこういう風にやってるか分かってないんですよ。もうなんか、それしかできなくなっちゃってる。
だから、毎回ぶっ壊さないといけないし、演劇ってそういうことなんですよね。結局、先輩がこういう風に反応してたから、こうっていうことじゃなくて、相手のセリフがあって、それを毎回初めて聞く。

― あ、そうですね。

それまでの稽古を忘れるってこと、大事なんですよね。初めて聞いた時に、自分の心がどう反応するかっていうのも、やっぱりそれができるようになるために鍛錬してるようなものなんだけど、やっぱ、どうしても型とかそういうね、様式みたいなものに、囚(とら)われがちじゃないですか。だから、社会もそうですよ。なんか例年通り、とかというのにどうしてもなっていって。本当に初めて仕事が始まった時の、本当の目的とか思いとかが、だんだん薄れていって、去年こういう風にやってきたから、とか、今までやってきたからってありがちなんですけど(笑)

― 今までこうだったからっていうのは、ありますよね。

楽ですからね。

― そうか~。だから、毎年新しいものが生まれるんですね。

ですね。演劇ってのはそういうものなんで、台本が一緒でも演じ方が変われば変わって当然だし、僕らも毎年毎年変わっていくわけだから、人間としてなんらかの変化があるわけです。だって、変わって当然なんですよね。その変化をまあ嫌うんではなくって、その変化を楽しむっていうスタンスは、やっぱ大事なのかなと思いますけど。

― メンバーも毎年積み重ねていくわけじゃないですか。1年2年3年ってね。それでやっぱり自分が変わっていくわけですよね。考え方も見方も感じ方もずっと変わっていくので、たぶん、その中でもらった役、する役っていうのを考えていくので、やっぱ違うものって出てきますよね。けど、やっぱり、そこには太郎さんのその演出の見せ方とか、もっとこうじゃない?っていう指導があるからこそ、またそこが生きてくるっていうことだと思うんですよね。

僕自身もどんどん変わっていくので。

― あ、そうですか。え~? そうなんですね!

去年やってたこと・・・まあ、でも極端な話、昨日言ってたことと今日言ってることが違うみたいななことはあるんです。それはでも、僕が変わったというよりも、人と人がこう出会って、昨日と今日でやっぱり思い浮かぶこととか、印象とかいろんなものって、変わって当然じゃないですか。もう違う一日なわけですよ。新しい出会いなわけで。演劇やってると、毎回毎回のその感じる力っていうかですね、毎回のお客さんも違うわけだし、共演者にしても、演出家とキャストにしても、毎日やっぱり新たに出会うわけですよね。それって、出会った時に感じたこととか下りてきた発想とか、そういったものをもう一番大事にしないと、昨日までこうしてたからこうって言うんじゃ、やっぱり演劇的なおもしろさって出ないんですよ。そもそも、演劇って、そういう毎回新しいお客さんとか、毎回その瞬間の空気の中で作っていくので。だから、アドリブってわけでもないんだけれども、別にだから、去年より絶対こう変えたいとかって、意識はしないないんですよ。全然違うことをするのがいいって思ってるんじゃなくて、その時に、やっぱり、一番おもしろいなって思ったことをやっていくっていうことが大事なのかなと思ってるんで、過去に引きずられないようにはしますね。別に変えたいって思って、変えてるわけじゃない。変わっちゃうんです(笑)ホントに昨日と今日ということで変わるんですから(笑)

― 時々、本当アドリブでする子もいますよね。その時のお客さんを見てね。

― すごい余裕だよね。

― でもそれが、すごい楽しくできてるっていうか、やろうと思ってやってるんじゃなくて、本当になんか自然にやってますよね。

そう、させられるっていうかね、お客さんのその空気に乗せられてっていう。

― そうそう、乗せられて。

それはアドリブですね。いい意味での。狙ってない。

― (笑)

よくあるんです。アドリブと言いつつ、実はこっそり自分で準備して狙ってるみたいなアドリブ。それ、アドリブ「風」なんです。僕はアドリブとは言わない。即興で出てきたものではないのでですね。アドリブっていうのは、やっぱその場の空気とか、お客さんと演者で作る、その瞬間で作るものなので。

― すごいですね。もうそこまでできたらすごいな~。

やろうやろうって思ってやるもんじゃない。気が付いたら、やっちゃってた(笑)

― それはチームでてきたら、またすごいですね。

だから、そういうのができる準備というか、引き出しはいっぱい持っといた方がいいんですよね。もちろん。それがないとアドリブが効かないですから。だけど、アドリブって、なんかやろうと思ってやるんじゃなくて、やっぱりどんだけその場の空気を感じてられるか、そこの感度がいいかどうかっていう。その感度がいいからこそ、アドリブが出るものなんで。この瞬間、たぶん、台本にはないこのことを言えば、とか、こういう動きをすれば絶対このお客さんは喜んでくれるだろう、もしくは泣いてくれるだろうみたいな、確信があってやるわけですよ。その瞬間に巻き起こる。

― 演技っていうのは、また奥深いですね。

深いと思いますよ。だからなんだろうな、アドリブ一つにしても、自分が目立ちたいっていう自意識過剰なアドリブっていうのはですね、あんまりおもしろくないですね。バレちゃう(笑)伝わっちゃうんですね。深いですね、確かに(笑)

― お客さんは、どうなんですかね。お客さんの求めてるものっていうか、ヒメヒコだからみんなヒメヒコを見たいと思って、みんな見に行くし、そういう気持ちの上では一つなんですけど、今日のお客さんはどうだとかっていう、違いとかありますかね。

ありますね。

― あ、ありますか。へ~そうなんですね~。

初めて見るお客さんって、お客さんの緊張感っていうのが、やっぱこっちに伝わってきますし、慣れてるお客さんの出す空気感て、全然やっぱ違いますし。それはヒメヒコだけではなく、どんな舞台もそうですね。本当一緒に作ってく感じなんですよね。

― すごい、一緒に作るってあるんですね。

― 一緒に作るっていう世界があるんですね。

演劇はそうですね。やっぱ、おもしろいと思って見てくれるお客さんがいっぱいいれば、役者もどんどん乗ってきますしね。で、役者がどんどん乗ってきたらもっとおもしろくなっていくので、相乗効果出るし、それが逆の場合は、どう打ち破っていくかっていうのを、役者が試される。

― そこを楽しんでできれば、すごいですよね。どうしようじゃなくて。

僕らも、例えばBGMとか演奏するじゃないですか。曲の速さとか、タイミングとか、あと弾く曲の感じまで、お客さんによって変わりますからね。テンポを変えていきたい時とか。だから、ある意味、そこはちょっとアドリブ的ですよね。普通はね、譜面通り演奏すれば良さそうに思うんですけど、そういうわけにもいかなくて。ま、でも本当そうですよ。オペラとかミュージカルの指揮者がいて、お客さんとかその時の状況で、あの指揮の取り方変わってるはずなので。

― そうなんですね。

そこは映像とかとは違うところですね。

― そこは生の違うところですね。

― 最初の話じゃないですけど、こういうのが(生舞台の)「力」ですよね。

― その緊張性とか常連が多いとか、そう感じ取れるのは、声とかじゃないですよね。ざわついているとか。そういうんじゃなくて、空気ですか?

そうですね~。

― だって、静かに見てるわけだから。

― シーンとしてても・・・

たぶん、シーンとしてても、敵なのか味方なのか、なんとなく分かりますね。

― なんですか、それは(笑)

― 太郎さんは感度が高いから。

(笑)でも、例えばね、スピーチする時とかでも、やっぱり基本的に人はあんま喋らない、日本人は特にあんま反応出さないじゃないですか。だけど、やっぱちょっとした、あ、楽しんでくれてんのかなっていうのと、あと退屈してんのかなっていうので、やっぱり喋る側は、それをめちゃくちゃ気にしますね。どうなんだ、どうなんだっていうのは、ウっと感じながら、それによっていろいろ良くも悪くもなっていくと思うし、すごいいつもは閉じてるようなアンテナが、そういう時はすごく敏感になりますね。うまくいく時だけじゃないんですけどね。もちろん今日はうまくいかなかったなっていうことも、もちろんあるし、今日は最後まで乗せられなかったなっていう時もあるし、今日は良かったねっていう時もあるし、そりゃ、もう毎回毎回、勝ったり負けたりですよ。

― そうですね。ヒメヒコの時は、お客さんたちは本当に味方なので、太郎さんも公演直前の激励の時に、「お客さんを味方につけて」って言ってらっしゃいますけど、そういう意味ではみんな応援しに来てるから、やりやすいものがあるかもしれないですよね。

ホントにありがたいですよね~。だから、応援してもらえるっていうことって、すごく大事で、役者もやっぱりお客さんに愛されないといけない。これはもう、悪役も含めて、物語は関係なく、やっぱり応援したいというのが・・・やっぱ好きだと、悪役であったとしても、なんか好きだなっていうのって、それはやっぱ役者の持ってる、人を味方につける力ですね。上手さだけじゃ、たぶん人はこない。

― それは、例えば、ヒメヒコの稽古の中で、やっぱり個性があるし、その子の持ってる能力とか、芸術的なこともあるので、そこは、太郎さんが一人一人、その的確なアドバイスをしていくことで、そういう力が身に付いていくんですよね。

ん~、そうですね~・・・まぁ、でも、具体的にあんまり、こういう風に笑った方がいいよ、とか、こういう風に動いた方がいいよ、とかっていうよりは、やっぱりその子の何かこう、自分はもっとこうしたいのに、っていうのに対して、引っかかってる部分とかを取って、流れを良くしてあげるっていうイメージかなぁ・・・。

― 突っかかってるものを・・・そのアドバイスとか、言葉とか、してることの中で、あ、そうなんだ、こうすればいいんだ、とか、こうしてみようとか、そういう風な方へ向かわせるみたいな・・・

ま、みんながみんな本当に100パーセント自分の全てを出し切ってるていうことは、たぶんないと思うんですね。だから、本来持ってるものをどんだけ出してあげるかっていうか、突っかかっているものを、どんだけ取って流れを良くしてあげるか、くらいかと思いますね。
イメージ的には。

― あ~、そうなんですね。
その子が元々持ってるものにしかならないし、下手に合わないことを飾りつけるよりは、まず、やっぱり一回とにかく流れを良くして、心の流れっていうかですね、その子が表現したいことの流れを良くして、それをまあ整えていくみたいな。

― あ~、なるほど~。ずっと続けてる子なんかは、周りが見えるようになってきたって結構インタビューで話してくれるんですよね。

― それはすごいことだと思うね。普通は、自分のことだけだからね。

― それからだんだん、周りが見えてくるようになると今度、その反応とか、さっきの感じるアンテナとかが、感度が高くなってくるんでしょうね。

― だから、おもしろいんだよね。

― そう。自分もおもしろいし、周りもだぶん、自分も成長するんだけど、周りも成長していくから、その中でまた、お互いを見ながらやっていくっていうのが、また高まっていくんですよね。それがまた楽しいんですよね。

そう、そうなんですよね。同世代とかの中でしかできないものもあって、これがもっと年代が広いと違うものなるんですよね。この間ちょっとお話した、鎌倉の高校1年生の子から手紙が来たんですけど、その子が言ってたのがやっぱ印象的で、もちろんそういうね、神奈川県は都会だし、市民ミュージカルもあると。だけど、私は高校生でしかが理想なんだ、って言うんです。それはよく分かるなって。市民ミュージカルじゃなくて、やっぱり同世代の、悩みもね、いろいろなものを共有できるような、ぶつかり合えるような仲間でやるっていうのが刺激的だし、成長になると思うんですよね。高校生と小学生だと、ちょっと面倒見てあげるってなってしまうし、そこに大人がいたらやっぱね、大人の目というかちょっと意識すると思うし。気を遣わないっていうのが、大事なんですよね。

― 本気でぶつかれるっていうね。

― 高校生のそのエネルギーは、社会人にないですからね。

だから、どう相手を感じることが大事なわけで、演劇っていうのは。だから、グループの中に違う世代の人とかがいるだけで、やっぱ変わってきますからね。グループも。絶対違う作品になっていくと思うんですよ。良し悪しではなくて。だから、やっぱヒメヒコは高校生だけだから、こうなるっていうか。

― そうですね。感度が良くなりやすいと思います。そういう意味では、気を遣わない分、本当に直球でもやっていける。帰ってくるのも。だから、自分に持ってる壁とか、シャットアウトしてるような、表面的にうまく作っているようなものっていうのを、取れますよね。
高校生の中だけだったら。

そうですね。だからみんな違って当然なんだけれども、いろんなものが。だけど、違うあいつもやっぱり同じ高校生、みたいなところですよね。大人が違ってても、それはもう大人の中は違ってて当然だよってなっちゃうんだけど、同世代で同じ地域に住んでても、そん中でいろんな違いがある。この違いとはなんだって、やっぱ悩むわけじゃないですか。それでいいんじゃないですかね~。

― 地域っていうのもいいですよね。同じ地域内っていう。大隅の中でって。そこは本当に「おおすみ大好き」に繋がるところですもんね。

そうですね。

― いろんな高校の子達が集まれるっていうのも、ないですよね~。

ないですね~。学校でやってるとか、そういうのはあったりしますけど、高校生で地域でっていうのはあんまりないですよね。

― なんか、鹿屋にいてミュージカルとか、身近じゃないですね。なんか、こうヨーロッパとかだったら、身近じゃないですか。だから、鹿屋に文化を広げるってことは、どういうことかなって考えることがあるんですけど。ヒメヒコはそのいいきっかけですけど、太郎さん的には、この文化っていうのはどういう感じに捉えていますか。

― 深い話になりますね~。だって、それには芸能文化とか、そういうのも関係あるし。

― 自分も高校までここだけど、文化的な楽しみとかないんですよ。家族の中でも鹿屋の中にもですよ。

だから、僕、ミュージカルやりながら、一方で郷土芸能が大好きで、なぜかっていうと、その郷土芸能とか祭りって、演劇の原点だと思ってるんですよ。生活と密着してるわけですよね。こういう芸能っていうのは。元々のその成り立ちっていうのは、棒踊りだったら、土の神様を起こして、これから、田植え、皆作がうまくいきますようにって、秋の収穫の感謝のお祭り、そういうのがお守りになったり、祈りの歌になったり。だから、生活の中でそれは、祈りでもあるし、娯楽でもあったわけですよね。娯楽であり、かつ、それを地域でみんなでやることで、コミュニティーを維持する、みんな元気かなっていうのを確認する場だなと思うんですよね。だから、それはやっぱり、この数十年でスマホが一番の情報源になって、全部分かってるつもりで、実分かってないっていうのがあると思っていて、そのさっきの映像と生の違いが、そうですよね。やっぱ人に会って、生の体験っていうか、同じ空間の中で人間が作り出す、パフォーマンスでもいいし、別にね、
飲み方でもいいわけですよ。それが今激減してるわけですよ。生の人間(文化)なんですよね、激減してるのは。でも演劇ってやっぱ、その生の人間同士がぶつかり合う、すごい原始的な体験っていうか、文化なわけじゃないですか。だから、これから、よりなんかそういう今失ってるものを取り戻したいっていう、根源的なね、なんか欲求みたいなものが強くなってくるような気はしてて、で、今でもエンタメビジネスの中でもCDが売れないとかなんとかっていう話があるんですけども、ライブって落ちてないらしいんですよ。みんなやっぱコンサートとか、それにはやっぱり一定数行くっていうのは、やっぱどっかで、その生でしか感じられない良さがあるっていうのは、多くの人がなんとなくこう直感的にはわかってんのかなっていう気がするし、だから、田舎ほどやっぱりちょっとこう、テレビの中の世界とか、今で言うと、ネットの中の世界で、ちょっとミーハー的にこっち(田舎)は何もないって、(街は)いいなとか、僕もそう思ってたんで、思いがちなんだけれども、なんかそういうきらびやかな都会的な洗練されたものが本当は足りてないんじゃなくて、たぶん、その人間の生のこういうね、鼓動とか衝動みたいなものに、触れ合うっていうことが文化なのかなって思いますよね。

― この間の若い子たちが踊ってた、ヒップポップ系は人気があるんですけど、なんか若い子たちが、そういう伝統芸能なんかの文化に興味持って、入っていけるようななんか、世界観っていうのはないのかなって思います。

要は何がかっこいいと思うかっていうのは、やっぱりこれから僕らもね頑張って、自分が信じるもののカッコ良さを追求していきたいと思ってるし、しっかり発信もしていきたいと思うし、僕がいろんなとこ旅して思ったのは、本当に自分の表現する時って、自分の生まれとかなんか、根っこの部分って、隠したまんまじゃなんか相手にされないんですよね。
世界中いろんなとこ行った時に、君のルーツはなんだ、っていう話に結構なるんですよ。
で、僕はこういうところで生まれて、こういう文化があるところに育って、で、それが今、こういう風な作品になってる。っていうのを語り合うことって多いんです。だから、深めていくと、ルーツってなんだろうとかっていうところには、みんなが行くような気はしますけどね。

― それでこの前、えっと、2つ前からかな、あの歌の中に、昔のことを知ることで、自分のことが分かるっていう歌詞が出てきましたよね。

あ~、はいはい。

― そこら辺は多分、その太郎さんのすごく思ってる部分が、あの歌になったんだと思うんですけど。

歴史を学べば、自分が分かる。・・・ポップなシーンで描いてるけど、実はすごい一番言いたかったことなんです。

― 人間の真髄のところ。一番奥の。

自分がなんで今ここにいるのかっていうのを、意識することって、すごい、僕、大事だと思ってて、どういう歴史というか、自分の過去っていうか、生まれる前までずっと遡(さかのぼ)って、誰と誰がどういうことがあって、どういうことが起きて、で、なぜこの座標に自分が今いるのかっていうことを、時間の中で、時間っていうか、時間と地理というか、縦軸、横軸みたいなものの中で確認して、なんで自分が今ここに生きているのか、なぜこういう仲間と出会ってるのかっていうのを、意識する、知っておくことが、すごい僕はいいことだと思ってて、そのために、歴史ってやるような気がしてるんで、別に、その縄文時代を勉強するというよりは、ちょっと近代やった方がいいと思いますね。

― (笑)

なんか、自分のお父さん、お母さん、そしておじいちゃん、おばあちゃん、ひいじいちゃん、ひいばあちゃん、って辿っていくことで、あ~、日本っていう国にこういう歴史があって、いろんなこういうことがあって、こういうことがあって、こういうことがあった挙げく、自分が今ここにいるんだっていうことを知ることが、歴史を学ぶ意味かなと思います。

― そうですよね。たどっていけば、ホント歴史の中に入って行きますからね。

そうなんですよね。歴史なしには、その人はいないんで。

ヒメヒコはそういうことで、ここでやってるっていうのは、ここにそういう文化というか、歴史があって、この作品があるわけですよね。

実際ですね、先週ぐらい、僕んちの実家の隣ずっと発掘してたんですよ。そしたら結構出たらしくて、なんとか遺跡って名前がついちゃった(笑)

― すごい!(笑)

我が家の隣が遺跡になっちゃった。弥生時代(笑)そういう土地に僕らはね、生まれ育ってね、こういう作品やってるんだっていうのが、単にエンタメを作りたいっていうこと以上に・・・なんで、自分たちがここに今生きてるんだろうなっていうこと、そういう奇跡をなんかね、こう肯定的に受け止められたり、おもしろいと思ってもらった方が、やっぱ、生きてて楽しいですよ(笑)

― 案外こう辿っていけば、その弥生時代の遺跡の中に、何か太郎さんに繋がる痕跡みたいなのがあったりして(笑)あ、繋がってたんだみたいな。

でも、本当ヒメヒコの中で台本で書いたことが、その後、発掘で明らかになったりとかっていうのもありましたからね~。まぁ、たまたまなんですけどね。男女のなきがらというか、それが見つかったのは、ヒメヒコの後ですからね。

― え~、そうなんですか!?

びっくりしましたよ。

― なんかの力で動いてるんじゃないですか?太郎さん自体が(笑)

― なんかでもそういう、力とかって感じることありますよね。何かに導かれたとか。なんか、そういうのじゃないですか?

気楽にやってんですけど、まあ、周りからはよく言われます。

― あ~、呼ぶんですよ。きっとなにか、呼ぶものがあります(笑)

― 今日ホントにかなり気づきがありました。海外行った時に、みんな自分の生まれたとこ、好きなんですよね。

うん、それ痛感しますよね。

― そう、ホント、みんなホームタウンすっごい好きだよね。

それ語り合って、なんか初めて仲良くなったりとか、お互いリスペクトし合ったりっていう、すごく僕は自分の実体験で感じたので、そこに目を向けとかないと、そこから目をそらしたらやっぱなんか語り合えないなって。スタート地点なんですよね。
だからといって、別に、その日本に生まれたから和風なことをやれっていうことではないですけどね。

― そうですね。

日本に生まれて、洋楽とかクラシックなこと、音楽やってる人ですら、やっぱりここに生まれたいろんな影響っていうのは出てるはずなんで、だからどんな表現でもいいわけですよ。だけど、やっぱり自分はここで生まれたっていうことを、やっぱりまず肯定的にというか、どうしようもない事実としてしっかり受け止めた方が、自分の中から出てくる作品に愛着を持てる気もするし、何よりも、なんかそこから話が始まるんで、海外行くたびに。

― ほんと、そうそう。そうですよね。

ホントそう思いますね。

― 逆に、日本文化を結構聞いてくる人もいるし、歌舞伎とか能とか。

ホントに大好きっていうアメリカ人とかもいっぱいいるから。

― でも、答えられないし(笑)

僕らね、海外行くと、やっぱ海外のこと、聞くじゃないですか。それと一緒で、海外の人は僕ら日本のことを知りたいし。

― そうですよね。

― 若い頃だったけど、イギリスで衝撃だったのが、若かろうが、もう7、80歳のおじいさんだろうが、シェイクスピアのセリフをみんな言えて、それがカッコよくてね。

すごくよく分かります。

― こんなに差があるのかって。

誇りなんですよね。必ず自分たちの文化があるわけですからね。逆に言うと、芸術家って、人種とか、成功してる、成功してないとか案外あったとしても、中身あんま変わんないんです。じゃあ、例えばそのニューヨークとか行くと、全然売れてないめちゃくちゃ貧乏なアーティスト、ちっちゃい、こ汚い、ハーレム(ニューヨーク市)の近くのところで展示してたりして、もうすごいボロ着てるんだけど、でも展示してるその作品について語り出したら、その情熱はね、一緒なんですよ。全然ね。結局そういう人たちってみんな一緒なわけだから、思いは結構似たようなもんだから、じゃあ、個性っていうのは、その人がどういう文化で生まれ育ったかっていうことで。お互い違いを知るためのすごい会話のきっかけにはなるし。

― DNAってのもありますよね。なんか自分で気がつかないけど、なんかあれ?やっぱり自分はこんなところ日本人だなとかね。そういうのもありますよね。どこかに。そのルーツっていう意味では。そこのなんか、感性がわかるみたいなところが。その文化的に通じるものがあれば、本当にそこは分かり合えるっていうか、感じるものがやっぱり一緒に感じられるし、なんかすごいですよね。

ヒメヒコは、今16年ですけど・・・。

― そうですね。長いですよね。ここまでずっと続けてこられたのはすごいですよね。

こういう地域で、高校生で、同じ台本なんだけど、みんなやっぱ違う公演を創っていくみたいなことを、流行ろうが流行らまいが、やっていきたいなって思いますね。

― 一期生はもう30を超えてそうですね。

そうなんですよ。

― 30代だね。本当だ、すごいね!長い歴史だ。

先輩たちが、今いろんなところでまた新たに活躍してる情報とか入って来るんで、それは嬉しいですよね~。

― それは、嬉しいですね~。ヒメヒコがきっかけになってとか、ヒメヒコで鍛えられてっていうのがね、発揮できて。

いろんな活躍のね、うわさを聞くので。

― そんなのも、載せられたりしたらいいですね。

あ~、ぜひ、ぜひ!コンタクト取って取材を・・・あれがチャンスですよね。年末年始とかに帰省してきた時。

― そっか、それいいですね。

この間それこそ先週かな。MBCのタレントやってる川原田優華ちゃんって子がいるんですけど、なんかラジオの番組の企画コンペみたいのがあって、それで応援してくださいみたいなこと言ってたら、2、3日後に、「勝ち取りました」って、自分のラジオ番組これから作るとかって。

― え~、すご~い!!

そういう子もいれば、だいぶ前に卒業した宮園唯ちゃんっていう、すごい歌う子、この間、なんかミスなんとか、もうすごいトップレベルのミスコンテストで賞をもらってました。唯とかも帰って来るんじゃないかな~・・・。

― 取材したいですよね。

そういう先輩のね、話聞きたいしね。後輩たちの絶対励みになると思います。

― そうそう。

先輩も嬉しいと思うし、そういうことを語れるっていうのが。まあ、聞いてみましょう。

― 鹿屋を好きだって言う人を増やすっていうことが、どんなに大切ことか(笑)いないですもん。ぜひ、お願いします。

― 機会があったら、是非お話させて下さい♪ 今日もためになるお話をたくさん、ありがとうございました。

― ありがとうございました。

ありがとうございました。

「演出家 松永太郎」特別インタビュー 

>> ヒメとヒコTOPに戻る

ヒメとヒコ公演情報