特集

卒業生インタビュー【第1回】宮園唯さん

☆宮園唯☆
[第6回公演ユイ役/第7回公演ヒメ・姫子先生役]

☆歌を心から愛し、その楽しさを教えるボイストレーナーであり、途上国との懸け橋となるべく奔走する温かい人柄の宮園さん。「Miss Galaxy of Beauty(ミス・ギャラクシー・オブ・ビューティー) 2022」の東日本準グランプリ、SNS賞2位、アップライブオーロラビジョン賞3位と、ミスコンでも快挙! その運営側でも活躍する、常にアクティブな唯さんです♪

赤文字インタビュアー1

青文字インタビュアー2

黒文字:宮園さん

(歩きながら)

― 今、東京在住ですか?

はい、東京です。

― 毎年鹿屋に帰って来てるんですか?

はい、毎年帰って来てて、半年に1回ぐらい帰って来てるかもしれないですね(笑)

― それは嬉しい♪

― さて、今回は貴重なインタビューをさせて頂いて、本当に嬉しいです。すごい活躍をされているようで。

太郎さん、ハードル上げるから~(笑)

― (笑)まずはそのご活躍の話の前に、唯さんのヒメヒコ時代のこと、お聞きしていいですか? ・・・ジャジャーン! これは、私が初めてヒメヒコを観に行った時の公演パンフです!

懐かし~い!

― これね。私が最初に行ったのは、リナで6回目公演だったの。

ちょうど私が2年生の時。

― そうそう、唯さんが2年生で載ってて。1年生の時は?

私、1年生の時からじゃなくて、2年生から入ったんですよ。

― あ~、じゃあちょうどこの時から!?

ちょうど私が(初めて)出た時・・・

― え~、ホント~!! なんか導かれたのかもしれな~い。うふふ~。(パンフを見ながら)
そうそう、この時のね~。私にとっても懐かしいキャストの皆さん!唯ちゃん、これね。

そう、懐かしいですよね~♪

― もうこの時(の公演)に私、すごい衝撃を受けて、やっぱ一番最初観に行った時ってみんな思うけど、まぁ高校生のミュージカルだし、どんな感じなのかな、子ども達がするミュージカルっていうか、舞台だから、どんな感じなのかな~ぐらいに思って観に行ったら、もう何これ!!みたいな(笑) え?高校生だよね? 高校生だよね?って何度も何度も思って、プロ?プロ?じゃないよね?みたいにあっけにとられて、びっくりしました(笑)
その時に唯さんも初舞台だったということですが、唯さんがヒメヒコに入りたいと思ったきっかけっていうのは、どんなことだったんですか。

★★★ヒメヒコに入ったきっかけ★★★

元々のきっかけは、高校の友人がヒメヒコキャストで・・・

― あ、そうだったんですね。

その子はちょっといろいろ事情があってやめたんですけど、私は歌が好きだったのと、あとは元々活発だったので、小学生の頃にちょっと地元のカラオケをやったりとか・・・鹿児島ってあんまり(ミュージカルみたいな)そういうのないじゃないですか。そこで、興味がなくはないなと思って、何気ない気持ちで行きました。見学は(笑)

― そうだったんですね~。じゃあ、友達から、そういうミュージカルあるよって聞いて入ったっていうことなんですね。で、見学に行って、すぐ入ろうって思ったんですか?

そうですね。最初見学の時に、メンバーのお稽古の風景を見せてもらったんですけど、豊年節っていうダンスがあって、それを見た時に、えっ、鹿児島でこんなすごいダンスが踊れる場所があるんだって、その時全然なかったので。まぁあっても、地域の子のヒップホップとか、そういうのばっかりで。で、キャストのみんながすごい楽しそうにやってるのを見て、なんか同じ高校生なのに、その時は芸能人に見えるみたいにキラキラしていたんですよ~(笑)え~、(このメンバー達)同じ高校生なんだって。それからですね。

― そうだったんだね~。やっぱりそれって、普通の舞台と違う、高校生のみんなだけで作るものだから、またそこにちょっと違う雰囲気っていうのを感じますよね。高校生ならではの舞台っていうのがね。
お稽古とはまた違って本公演の時は、もっとそれがすごい強く現れると思うんですけど、やっぱりそのキラキラ感っていうか、高校生のエネルギッシュなものが私たち観客にもすごく伝わるので、本当に引き込まれます。唯さんも、高校生同士でやるミュージカルって感じられたところが、また良かったですね。

はい、すごい良かったです。同じ年齢なのにっていうのが。

― ホントホント。それに刺激を受けて入りまして、当時お稽古とかどうでしたか?

いや、でも本当に最初太郎さんの前で歌った時に、なんか太郎さんが、いいねってすごい褒めてくださって、そこから結構私が歌う機会がすごい多く頂けるようになって・・・ユイ役・マイ役って、友人役だったので、それまであまり歌うシーンとかなかったんですけど、歌を歌うシーンとか作ってくださったりとか、チャンスをすごい下さって。

― そうだったんですね。毎年、歌が増えたりとか、ダンスが増えたりとか少しずつ変わっていくけれども、その中の1つで、友人が歌う場面が増えたってことですね。

この代、私が入った初年度は、まだその前までの演出をそのままやって変えてたんですけど、私が3年生になったタイミングで、ガラッと演出が変わって。

― へ~、そうだったんだね~。私もこの年に衝撃を受けて、もうすっごい大ファンになって、絶対これ毎年見に行こうと思ったんですよ。で、これが唯さんの時のパンフね。このメンバーだったんですよね~。懐かしいですね。

うふふふ。

― ヒメ役をやる時、なんかオーディションとか覚えてますか?

あっ、ありました、ありました。覚えてます。それぞれの役でオーディションがあって、希望する役っていうのを、みんな言っていて、希望する役ごとのオーディションがあって・・・で、太郎さんが選んでいくって感じなんですけど。

― オーディションは、毎年やり方が変わるみたいで(笑)。

あっ、そうなんですね(笑)太郎さんの気分ですね(笑)

― (笑)

ホントはそうじゃないと思いますけど、私たちの時は結構オーディション、オーディションしてた気がします。みんなの前でしっかり歌ってっていう感じですね~。

― 何を歌ったとか覚えてますか?

えっと・・・この時は私はマナ役を志望していたので、マナの「シリウス」ですね。

― あー、シリウスですね。そうだったんだ~。でもヒメ役でしたね?

そうですね。これもいろいろあって、ヒメ役にずっとなりたいっていう同い年の元々1年生からやってる子がいて、私の性格上、なんか譲るというか、他の人を先にしてしまうから、じゃあ私は消去法で(マナを志望して)。

― そっかそっか、なるほどね~。で、ヒメ役になって舞台に立ってどうでしたか?

単純に、ヒメだからって重荷とか全然感じなくて、ただただ周りの3年生のメンバーがすごい信頼のおけるメンバーであったんですけど、なんか本当にこの代からすごい演出が変わったので、私達で新しいのを作っていくよ、みたいなエネルギーをさらに今までよりも、私たち最後だったので。ただただ、楽しかった覚えがあります。

― そうだったんですね。公演まではいろいろ厳しいお稽古あったりとか、メンバーの中でもいろいろあって、それはいつもあると思うのでね、その中で「結」の精神じゃないですけど、団結していい公演ができるんだと思うんですよね。その時もそんな感じで?

そうですね。本当に支え合ってたっていう感じですね。

― ヒメヒコに入る時には、入るかどうかの葛藤はありましたか? 部活とヒメヒコのどちらかにしないといけない、とか。

あ~、ちょうど高校1年生の時に、ソフトテニスっていう部活に入ってたんですけど、友人を亡くした経験があって、同じソフトテニス部の友人だったんですよ。で、事故で亡くなっちゃって、こうなんかその思い出があるから、もうソフトテニス続けられないと思って、元々キャストの子が誘ってくれたのもあるんですけど、なんか頑張るのがほしいなって、ちょうど思ってたところだったので。

― そこは前向きに思ってたんですね。

そう・・・なんか新しいことにチャレンジしたいなと思ってて。だからまず、これって2時間も拘束時間もあるし、っていうところは全然元々忙しいのが大好きなので、授業もして、別に習い事とかもしてたんですけど、習い事もしながらヒメヒコもやってっていう忙しい生活はすごい楽しかったので。母も協力的で。

― 忙しいっていうことは、ある意味その心のね、安定になりますよね。

はい。なんか、それを求めてた気がします。

★★★ヒメヒコに入って学べること★★★

― 高校の部活って他の学校の子と一緒にはならないじゃないですか。唯一ヒメヒコはなりますよね。そこもやっぱり、先々に影響ってありますか。

あ~、確かにあるかもしれないですね。ヒメヒコに入って、結構外と関わることがすごく多くなって、ヒメヒコ内で、他の学校の子もそうなんですけど、例えばイベントに出演して大人の方とかだったりとか、リナシティの会館の方とかが、ちょっと部活ではあんまり経験できないと思うんですけど、その部分をすごい養ってもらったというか。太郎さんが、どんどん外に出してくれる。高校生だからって制限をつけるんじゃなくて、高校生でも大人と同じようにどんどん社会の場にも出してくれるし、自分たちで結構イベントを作らせていただく機会がこの代から多くなって、もう一任でしたね。太郎さんがイベントの参加権だけをくれて、あとお願いね~って(笑)。

― なるほどね(笑)

― なるほどね(笑)

もう構成から何から・・・ダンスの振りをつけるのが得意な子もいたし、この代で私たちバンドも組んだことがあって、有志を集めて。そのバンドとダンスで、もう音楽もいらないじゃないですか。太郎さん、いらないというか(笑)。いつも太郎さんが伴奏するんですけど、それも自分たちでっていうのとかも。

― へ~、それいいね!

はい、出してくれたんで。

― やっぱりそこは新しい形っていうか。高校生の年代で社会に触れるきっかけとか、触れる環境があるっていうところが、すごく新しいですよね。

はい。だから、もうポーンって放り出されても、全然物怖じ(ものおじ)しない気持ちが芽生えたと思います。

― そうなんだね~。それが多分、今の唯さんのね、人生っていうか、生き方に繋がってきてるとは思うんですけど、また後でちょっとその話を詳しく聞きたいなと思うんですけど・・・。え~、自分たちでイベントどのように作っていくのかっていうのもね。

本当にそれだけ信頼してもらえてたっていうのもあります。

― そういうことですよね。

本当に一任だったので。(太郎さんは)本番だけ見に来るみたいな(笑)

― (笑)へ~すごい~。ある意味、その自由にできるっていうところがいいんですよね。誰かの監督のもとで何々をしないといけないみたいな感じでするっていうよりも、自分たちで自由に考えてやれるっていうところがね。

だから、踊らされてるじゃなくて、自分たちでお客さんを楽しませるためにどうしたらいいかを考えて、踊り方とか、身振り手振りの意味とかも考え始めたりとか。

― やっぱり舞台で何かするっていうことは、お客さんがどういう風に思うか、反応してくれるかっていうところが一番の目的っていうところがあるのでね、それを自分たちで考えながらしていくっていうのは、本当大事なことですよね。

― 2生からですけど、その舞台度胸というのはすぐについたもんなんですか?

あ~、それはどうなんだろう・・・元々私すごい緊張しいだったんですよ。小学校の頃にちょこっと出たカラオケの大会みたいなやつも、緊張して声が震えちゃうぐらいな歌だったんですけど、なんでかな・・・間違いなく一人じゃないっていうのが大きくて、なんかミュージカルだと私、舞台で全く緊張しないんですよ。歌ってても。ソロだとすごい緊張する・・・今はもう慣れたんですけど、その当時はソロだと緊張してたんです。でもミュージカルだと緊張せず、ありのままで歌える・・・のに感動してハマっちゃったのもあるんですけど(笑)。

― あ~、なるほどね~。それすごい分かります。

だから度胸がついたってよりは、みんながいる安心感。

― みんなと一緒にできるっていうね。

ですね。で、成長して、度胸もついてっていう。

― 年に1回のせっかくの舞台でも、いつもの実力を出せない子もいるからね。

いますね。はい。練習の方ができてて。

― その辺はどういう風に・・・今でもまさにそういう子たちがいると思うので。

やっぱり緊張は・・・今ちょっとボイストレーニングしていて、そういう緊張するしないの話とかもするんですけど、やっぱ自信がつけばつくほど緊張ってしなくなるので、それに耐える練習を心がけてました。当時は。もうこれでできなかったらしょうがない、っていうぐらいまで練習することだけは当時から意識してたので、だから多分当日緊張せず、歌も歌えたと思います。。

― ここまでやってきたんだからっていう、自分の実力への自信ですね。

はい。他のことでも、常に私は後悔しないように努力するっていう。

― 当時は週に何日稽古ですか?

えーっと、3日ですね。

― 今と同じですよね。

― 自分の練習は毎日?

そうですね。私は毎日やってましたね。ワンフレーズの日もあるんですけど(笑)、基本必ず毎日どこかで歌ってました。歌ったり、あと、踊りも踊ったり。ダンスの練習もしていましたね。

― 人によって緊張の仕方とかも違って、いつ発揮できるかっていうのもそれぞれ違うからね~。多分トレーナーさんやってると、一人一人に合ったアドバイスをされると思うんですが、私も唯さんと似たようなタイプだから、また教えてほしいです。

緊張しだったからこそ、気持ちがわかるんですけど、でもその経験を踏まえて練習した時がやっぱり一番緊張しないので。それを自分で感じてきた・・・やっぱ練習がちょっと足りないとか、ちょっと2番は怪しいな、と思えば舞台はやっぱり緊張するし、逆にもうこれ以上練習できないっていうぐらいの時は、全く緊張しないっていうのも場数を踏んで経験してるので、これは間違いなくそうだと思っていて。

― 聞かせたいね~、今のヒメヒコの子達に。

― 今プロとして教えておられるわけですが、当時の唯ちゃんに、練習こうするといいよっていう話がありますか?

歌で、ですか? 

― 歌とか取り組みとか・・・。

あ~、なんだろうな。ヒメヒコの練習でですよね。うーん、でもまずは私のボイストレーナーをやってての方針的な話なんですけど、歌の音程とかリズムとかよりも、気持ちが相手に届くかどうかなので、その歌詞の意味をどれだけ理解してて、あとは音楽でも例えば悲しい音楽だったら音が下がったりするじゃないですか。楽しければ上がったりするし。なんか、そこまでちゃんと曲を理解してるかどうかっていうのがすごい大事だと思っていて、下手でも、心こもってたら、めっちゃ感動するんですよね。多分見ててわかると思うんですけど。

― うんうん、伝わるものがあるよね。

はい。どうしても、やっぱ音程とか、リズムとか合わせなきゃいけないって刻んだりしちゃうんですけど、そうなってくると、見てて、え、なんで今悲しいとこなのにこうやってんだろう?みたいになっちゃうと、お客さんってやっぱり離れて行っちゃうので、まずはそこだけできてればいいと思います。プロじゃないからこそ。

― それ、すっごい大事なことですよね。

意外とできないんですよね。高校生とか。

― やっぱりね、気にしちゃうんだよね。音程が外れてないかとか、リズムにちゃんと乗れてるか、とかね

目が泳いだりとか。

― あ~、なるほど~。

私の知り合いにブロードウェイの先生がいるんですけど、オーディションする時に、目を見るっていうんですよ。歌じゃなくって。その人の目を見て、その先に、言ってる言葉の映像があるかどうか。

― 分かる!それ! すっごい分かる!

「シリウス」だったら星だよねって。

― そう。情景がね、お客さんにも見えてくるの。そうなの、そうなの。本当にそうなの。だからね、例えば奄美を思い出す歌、その当時あったかどうかは分からないけど、姫子先生が奄美の情景を歌ってる時に、観客の人にその情景がね浮かんでくるわけ。見えてくるわけよ。海が見えたりとかね。その生活風景が見えたりとかっていうのが、やっぱ伝わってるっていうことなんだよね~。

そうなんですよね~。

― そう。だから、その上手な歌とか、きれいな歌とかもちろん大事なんだけども、お客さんにどこまで伝わるかっていう。でもそれが難しいでしょう~?

そうなんです。上を見るだけじゃなくて、その「星」までちゃんと見てるかっていう。想像するのは簡単なので、ちゃんとそれを想像してるかどうか。。

― そう、そう、あれ私もいつもすごい不思議に思うんだけど、なんで見えてくるんだろうって思うんだよね。

いや、もう多分見てるからだと思うんですよ。例えば人がここ通った時に見るじゃないですか。何だろうって、見るじゃないですか。でも、ただなんかボーってやってても、多分気になんないと思います。でもちゃんと見てれば、あ、何かがいる、何かがあるって、多分、こっちに考えさせる。・・・からだと思います。目ってすごく大事だと思いますね~。

― セリフ1つ1つに意味を持たせて、それをちゃんと演技しながら見せていく、と。

みんな口だけで暗記したことを言ってたりするので、私は結構それ(想像すること)を大事にしてました。だから、どっちかっていうと、私は感情のことをほめられる、相手に伝わるよっていうのをほめて頂くことが多かったので、そこは私も大事にしてて、もっとやりたい、もっとやりたいと思って、声色に出してみたりとか・・・目線だけじゃなくて。

― 技術的なところは、後からでもいいのよね。

結構、技術的なことは後からだと思います。なんか上手くても、入ってこないとかありますよね。

― そうそう! あるよね~。わぁ~っては思うんだけど・・・

歌詞が入ってこない。

― そうそう。その感覚は私も分かるんですけど、観客としてね。すごい不思議だな~と思ってて、やっぱり、さっき言ってた、その人には、例えばシリウスならシリウスは見えてるんだなっていうのが、ちゃんと観客にも見えてくるっていう。

― 自分が出演してる時に、観客が引いてるなとか、そういう感覚もありますか?

あります。あります。自分が行きすぎると、お客さんが引いちゃうってこと、あります。

― それは感じるっていうか、見てるんですか。

常にお客さんを意識して歌ってたので。お客さんが今どういう気持ちか・・・。

― 分かるんだね~。

はい、分かります。多分これ、歌ってて意識してる人は分かると思うんですけど、ギャグシーンとか、そういうのでも、自分だけ盛り上がっちゃって、お客さんは置いてかれてるなっていうのも・・・。

― そういうのも、分かるんだ。

分かってる人は、ちゃんとフォローできますね。

― なるほどね~。

今置いてかれちゃってますかね?とか言える人いるじゃないですか(笑)。

― 反応を見てね。

― やっぱ演劇ですからね。

― 気持ちが分かるところまでいくには、余裕というか、感性もあるしだろうし・・・それができるのはすごいですよね。なかなかお客さん目の前にしてっていうのは。そんなに回数がないし、イベントとかに出たりして、そういう時の反応とか見れたとは思うんですけど、すごいですね。

歌が好きだったからかもしれないです。演技より私、歌の方が好きでした。歌で演技をする方が。上京した後、私も教わったんですけど、「なんで歌うのか」って聞かれたことがあって、確かにと思って、「歌わなくても言葉で伝わるなら、それでいいじゃん」って言われたことがあって、なんでだろうって思った時に、その方が言ってたのが、「言葉で伝えられない思いが歌になって、歌で伝えられない思いがダンスになる」って言われた時に、「言葉以上じゃなきゃ意味がないんだよ。「歌」って」って思って、そこからなんかしゃべる以上のものを、音とかを使って表現する・・・ってことをすごい研究しだしました。

― そうだったんですね。「歌」って、すごい深いですよね。気持ちとか目的とかいろんなこともあるけど、歴史だったりとかね、それこそ太郎さんもね、鹿屋で伝えてる・・・伝統芸能のその継承に力を入れていらっしゃるんだけど、その中に「歌」というのは必ずあって、本当に奥深い世界だと思うんですよね。

― 今ふと思ったのは、最初に見た「豊年節」に惹(ひ)かれたっていうのは、やっぱりその伝統的な歌なんかに惹かれるとこがあったのかしらね。

あー。その視点で考えたことないですけど、でもあまり聞き馴染みのなかった歌だったんですよね。あの私たちの年代って普通に最近の(流行り)の曲とか聴くし。民謡とか触れる機会がなかったので、多分単純に新鮮だったんだと思います。

― なるほど~。

民謡と、ちょっと先の歌を織り交ぜたたみたいな、太郎さんの新しい曲・・・。

― アレンジしてるからね~。そのままじゃなくてね。

ま、あの曲は確かにちょっと中毒性がある気がします。あははは・・・太郎さんの曲は、ちょっと中毒性があるかもしれない(笑)

― (笑)ホントホント。ずっと歌っちゃうもんね。残るしね。

はい、なんか残りますよね。うふふふ。・・・はい、新鮮な気持ちだったのは、ありました。

― そういう意味で、伝統芸能や歌っていうのが、若い人にも知ってもらえたり浸透できたっていうことは、本当に太郎さんの目的とするところというか、それ成功してるっていうか、
しかもそれがずっと今まで繋げられてるっていうことだから、もうホントすごいことだなと思いますよね。

― ヒメヒコに参加したしなかったで、人生変わってますよね。

絶対変わってると思います。変わってない子、いないんじゃないかなっていうぐらい・・・不登校気味の子とかもヒメヒコ参加する子多かったと思います。

― そうそう、そうなんです。

東京出てから思うんですけど、鹿児島ってそういう子が自由に選択できる機会がなさすぎで、そういうのやってるとちょっと、特別なこと、変なことやってるね、みたいになっちゃうから、そういう自由に表現できることって、すごい大事だと思いますね。

― そういう機会って、なかなかこの「おおすみ」とかにはないので、本当にヒメヒコがあることで救われてる子たちはたくさんいると思いますね。

― 仕事していく上でも、社内の中ででも、いかに自分を出せるか、表現力とか自分を出す力は大事なんだと思うんですよ。そういう意味では、ヒメヒコでの舞台度胸というのは、いろんなところで役に立っていきそうな気がするんですけど・・・。

絶対そうだと思います。何かを成し遂げたという自信みたいなのが、どこかで、あの公演が創れたんだからっていう糧になっていくと思うので、

― そうなんですよね。ヒメヒコに入って公演をしっかりできたっていうのは、ものすごく人生の1つの自信っていうか、大きな経験っていうか、とにかくみんな、大人になってもそれが支えになってるんじゃないかなぁって思いますよ。

★★★ヒメヒコの普及★★★

― 前回は、高校生以下は観れなかったのがあって、今、1年生いないんですよね。

あ~、そうなんですね~・・・。

― 今おっしゃったみたいに、今って不登校の子も多いし、その子たちに、そういうヒメヒコがあるんだっていうことを、どういう風に伝えていこうかなってことも聞いてみたいですね。

壮大な内容ですね(笑)でもそれは親御さんなのかなって、ちょっと思っちゃいますね。でも多分、子どもだったらきっかけさえあれば・・・。

― 去年、高校生以下の子達は見れなかったのよね。舞台をね。やっぱり本物の舞台、生の舞台っていうのは、ものすごく影響があるでしょ。生の舞台を観て感動して、あんな風になりたいとか、入りたいとかって思うんだけど、やっぱり実際それ見れなくて。DVDだったりとか、動画だったりだけでは、なかなか伝わらないというか、その場のリアルな空気から伝わるものを感じられないから、そんな影響あったのかなってすごく思いますよね。

学校とかで流せたらいいですよね。公演の一部始終を。

― そうだよね!

なんか、ちょっとあるじゃないですか。レクリエーションの時間とか芸術鑑賞会とか。そういうので目に触れたら、多分一人でも興味を持つ子はいると思うんですよね。

― 登場したりとかあるかもしれない(笑)

なんか無理やり見せるっていう企画を作るといいかもしれない(笑)

― それはありかもですね~。

受け身ですもんね。

― そうそう。自分から見に来てっていう風にしかできないからね。

見に来ない人の方が多いじゃないですか。私たちの時でも、ヒメヒコって何だろうみたいな風潮があったんですけど、その時まだ5年目とかだったので、演劇やってんだって~みたいな、ちょっとバカにした感じ(笑)・・・だったので、中に入っていこうとすら思いはしなかったので、私はたまたま誘われて観る機会があったから、知れたけど・・・見てないから分かんないだけかな、と。

― 今ね、まぁ大分浸透はしてきてるのだけど、大人の方も見に来て下さったりとか、子どもさんたちの繋がりとかで。でも、まだまだだよね。「高校生ミュージカル」やってるよって言って、見に来てくれる人を誘い出すっていうか、来てくれるようにするっていうのは、うーん、なかなか難しいとこがある。

― 芸術に触れる機会が少ない、ミュージカル一つとってもですね、なかなかこっちじゃないですからね。

東京だったら、もう毎週どこかでやってるじゃないですか。それも間違いなく大きいと思うし。そもそも「ミュージカル」っていうのが、なかなか・・・。

― そこが課題かなっていうのがありますね。

★★★ヒメヒコを卒業してから★★★

― では、ヒメヒコを卒業されて、社会人になってからのことをちょっとお聞きしたいんですけど、卒業されてどんなふうに社会に出ていったんですか。

そもそも、卒業してすぐ明治大学に入ったんですけど、その明治大学に入ったのも、鬼塚さんっていう方がいて・・・

― あ、作家のね!鬼塚忠先生。

はい。鬼塚先生が、高校2年生の時の講演を見に来て下さってて、そこでなんか私の歌をすごい気に入って下さって、高校2年生から、結構東京とかで歌わせて頂いたりとか、ちょこちょこ機会を下さって・・・

― え~、高校の時に!?

はい。で、高3にかけてずっと鬼塚先生が歌って歌ってって(笑)・・・だからCMにちょっと出してもらったり、・・・西日本のシロアリっていうのがあるじゃないですか。面白いCM。それの2014年バージョンは私で(笑)

― え~、そうなんだ~!

そういう機会をすごい下さって、推して下さったんですね。歌手としてやってほしいみたいなので、すごいバックアップしてくださる。

― あれ? そういえば、CD出してませんでしたっけ?

そう、うふふふ(笑)

― 太郎さんが作曲してませんでしたっけ? で、鬼塚先生が作詞の。だから、すごいCDだなと思って。

そう、先生が高校の時から良くして下さって、で東京に来ないかって。私は元々こっちで保育士さんかなんか目指そうとしてて、こっちの大学とか専門学校行こうとして、でも、そのタイミングで明治大学のオープンキャンパスか何かに連れてって下さって、その時が高校3年生だったので、間に合うの?みたいな状況が分からないぐらいのですね。私、大学のこと全然知らなかったので、明治大学ってどのぐらい?みたいな。
で、とりあえず、行きたいですね~みたいな話をして、で、そこからやっぱ、私も東京に行っていろいろ見て、あ、こんなにいろんなものがあって、ミュージカルもいつでも観れて、ライブハウスもいっぱいあってって、18歳の私からしたら、すごい刺激があったので、じゃあ、どうせなら一回しかない人生だから、出てみようと思って。そこから一生懸命、大学に受かるための方法を学校の先生に教えてもらって、私たまたま串良商業だったんですけど、日商簿記を受けてたんで、その資格と小論文、で、あと通知表というか成績表で行けるっていう入試方法があったので、それでなんとかぎりぎり滑り込みで・・・。

― へ~、そうだったんだ~。

で、そっから上京して、大学生だったんですけど、そこからもう鬼塚さんがどんどん毎週ライブの予定を入れて下さって(笑)

― すごいね~!(笑)

そう、結構鬼塚さんの勢いがすごくて~(笑)でも当時、私はもう環境も新しいし、結構やってから気付いたんですけど、自分だけの歌をライブで歌うっていうのに、あまり喜びを感じなかったんですよ。ミュージカルだったら、何かを演じて意味があって歌うんですけど、ライブハウスってカバーだったり、自分のオリジナルだったりするんですけど、一個の曲に意味はあっても、その日に私が歌いたい歌ではないじゃないですか。

― そうだね。

その時にそういう気持ちを作るのもプロはプロなんですけど、私は期待されて応えるためだけに歌ってるっていう感じがしてしまって、1年半ぐらいはずっとライブ活動だったり、CD作って頂いたりしてたんですけど、悶々としてる中で声帯結節になってしまって。のどにタコができるってやつで、それも結局歌い過ぎだったんですよ。

― あ~、そうだったんだ。

高3の頃ぐらいからその前兆はあって、元々ちょっとハスキーみたいな声だったんですよ。でも大学の2年生ぐらいに声が出なくなってきて・・・高い声が全く出なくなってきて。でもライブは続けてるので・・・声は出ない。ライブはしなきゃ、でも、ライブもちょっと前向きじゃないっていうので、すごいスランプみたいな時期がありました。

― 辛かったですね。

いえいえ。で、一旦その鬼塚さんのやつはごめんなさいって言って、ちょっと休ませて下さいって言って、で、結構離れたんですよね。歌うのから。大学生活はそのまま続けて。
大学はアカペラサークルに入ってたんですけど(笑)、アカペラも楽しみながらやってた時に、それまで舞台とかもやっていたんですけど、一回手術をして、喉を治して声が出るようになった後、久々に歌った時に、やっぱり歌が好きだなと。どういう風に歌を続けていこうかなと思った時に、私と同じように、喉を痛めながら歌っちゃうとか、無理して歌ってる人を少なくしたいとか・・・あとは、さっきも言ったんですけど、もっと音楽を身近にしたい、歌手になるから練習するとかじゃなくて、好きだから練習して、もっと素人でもライブハウスとか、ライブができるようにしたい、みたいなことがあって。そういう大学生活の中で芽生えたきっかけがあって、ボイストレーナーになりましたね。

★★★カンボジアに関わるお仕事★★★

― (ボイストレーナーに)なったきっかけには、いろいろなことがあったんですね。それを大学の時経験されて、卒業されてから、すぐボイストレーナーを初めたんですか?

はい。元々音楽とは全く関係ないですけど、進路を決める時に途上国にすごい興味があって、カンボジアの・・・昔、高校時代から音楽も好きだけど、もし今後仕事をするとしたら、途上国に関わる仕事がしたいなっていうのがざっくばらんにあって。高校の時は、カンボジアとは決めてなかったですけど。で、大学生の時に一回カンボジアの小学校を建てるっていうツアーに参加して、そこからカンボジアにどっぷりはまって・・・その繋がりで、大学卒業後も半年に1回、カンボジアに行って、世話をアテンドするお仕事をして。

― 現地では、ハプニングだらけでしょうね。

ハプニングだらけですね。バスが止まったりとか、それのタイヤがパンクしたりとかなんか、そういうの、そういうのも含めてこう楽しいというか。で、大学生とかも呼び込んでやるので、日本の大学生に、そういうハプニングも楽しんでもらうというか、もうピンチもチャンスみたいなマインドを身につけてもらうっていうのもあったり、カンボジアの子供たちの可能性を広げてあげたいとか。

― へ~、すごいやりがいがある活動ですよね。

コロナで全然一時はちょっとできなくて、運営の別な方(かた)だけでやってたんですけど、3月にまた私も行けるってなって。

― コロナがちょっと今、落ち着いてる感じですからね。

なので今、そのボイストレーナーと、カンボジアの小学校建設のツアーの2軸でお仕事をしている感じなんですけど。でも、個人事業主なので、卒業後急にはできなかったので、一回普通の会社も挟んでるんですけど(笑)

― そうなんだ~。

ちょっと裁量の大きいところにしたいなと思って、鹿児島支店の立ち上げみたいなのが東京の会社であったので、支店の立ち上げに携わらせてもらって、社会勉強させてもらったので、(その後は)個人事業主になって、ていう感じです。

― そういう経験も大事ですもんね。

そうですね。なんか、フリーって最近多いじゃないですか。でも私自身は、社会を知らないでフリーってちょっと言うの恥ずかしいというか、なんか確実にやっぱりこういうボイストレーナーって、社会人の方とも会社員の方とも接する機会が多くて、そういう方のお話に合わせなきゃいけなかったり、知ってなきゃいけないので、会社員は絶対やりたいと思ってて。

― 1回勤めてみると、いろいろ分かるもんね。

そうですね。

― 私もそういうことがあったので分かりますけど、会社ってこうなんだ、みたいなのありますよね。

そうなんです~。

★★★ボイストレーナー&カンボジアのアテンド ~今とこれから~★★★

― 今一番主としてやってるのは、ボイストレーニング?

はい。

― それは幅広い?(生徒さんのこと)

ミュージカルの方もそうですし、ディズニーの声優さんとかもそうですし。

― プロも教えてるってことですよね。

そうですね。プロの方だったり、子役の子だったり・・・ディズニーの声優さんとかで、歌を今まで歌ってこなくて歌のセリフが入ったから、という方が来たりとか。あとは普通に会社員の方とか。

― 高いレベルそうですよね。すごいですね。

― トレーナーさんもたくさんいらっしゃると思うんですけど、技術を高めて、レベルの高い方たちのトレーナーができるっていうのは、何か段階的なものとかってあるんですか。

あ、そうです。最初はもうボイススクールみたいなところに、業務委託でちょっと行かしてもらって、そこからはどんどんそういうお仕事をいろんなところにするにつれての、人脈を増やしてっていう形ですね。あとは口コミとか。

― 評判がいいってことだね。あの人に教えてもらうといいよって、評判になると思うんですよね。教える際に、心がけてることってあるんですか。トレーナーとして。

ボイストレーナーとしては、やっぱり楽しいのが一番・・・歌が好きなことが一番歌が上手になると思ってるので、実際私がその歌が嫌いになった時期が一番歌が下手だったし、歌えなくなった。結構、声帯とメンタルって、すごい比例するんですよ。

― そうなんだ~!

そう。だから私のレッスンって、お話30分ぐらいとか結構多いんですよ。

― なるほど、なるほど。

会社で嫌なことがあったっていう日は、歌が全然歌えないから、まずそこを解決していって。歌わないと意味がないし・・・。

― なるほど~。私、すごく習いたいです!(笑)

(笑)

― ものすごく習いたいです!(笑) もうプロの方を教えてらっしゃるから、そんな時間はないかもしれませんが。うふふ。でもそれ、習う側としてはすごく気持ちがいいっていうか、歌うことの楽しさと喜びっていうのは、そこから来るんだと思うんですよ。人間って楽しい時は、自然に鼻歌が出たりとか、歌を歌いたくなりますよね。だから、楽しく歌を歌えるって、そのメンタルにまで持っていくっていうのは、大事っていうか。
あ、今思ったのは、それは循環してるっていうか、メンタルがね、明るくなれば明るい歌も歌えるし、明るい歌を歌えればメンタルも上がるし、みたいな。相乗効果というか。
そんなのはあるのかもしれないですね。

― 事業は先々、どのような形でされていくんですか。

基本的には、まずは自分がそれに見合う人になりたいって思って、先日ミスコンテストに・・・

― そうそう、それを聞きたかったんだった!(笑)

(笑)それで、まず自分を高めることから始めて、先々はこうスタジオみたいなのをもって、例えば音楽に限らず、自分がそれこそさっきの話なんですけど、自信を持てるもの、何かを探せる場所っていうのを作りたいです。
まだ具体的にどういう形かとかないんですけど、それがカンボジアの小学校に繋がって、例えば、そういう子たちがカンボジアの子どもたちに、そういうのがあるんだよ、こういう夢があるんだよ、将来の夢があるんだよって伝えたら、夢が増えるじゃないですか。カンボジアも、5、6年前だと、小学校の先生か医者かしか将来が見れなくて、なんでかって言ったら、その周りに大人がそれ以外いないからで、お金が稼げるからとかじゃなく・・・なんか、それがショックできっかけになったんですけど、やっぱそういう子達(日本の大学生とか)が行くことで、あ、こんな夢もあるんだとか、こんなお兄ちゃん、お姉ちゃんいるんだっていうのが、そういうのが回っていったらすごいいいなっていう・・・うふふ。はい。

― すごいね~。人を幸せにしたいっていう。

自分が育った環境がずっとそうだったからかもです。なんか、楽しい、自分のことを楽しませてくれる人が周りにいて、私も返してあげたいなっていうのが、常にずっとあって。あなたのためにするよっていう人が今まで多かったから、返してあげたいなっていうのはあるのかなって思います。シンプルに。

― 自己満足じゃなくてね。

― (カンボジアへ行くとか)何か新しいことをしようとするとね、やっぱり足引っ張る人いるんですよ。

ホントにそうなんですよ。出てから本当に思いました。

― そんなことするなとか、お前には無理だとかね。

その人のためを言ってるのかどうなのか・・・。

― だけど、その現場によく行きましたよね。

えっ、いや、ほんと快適ですよ(笑)

― 若い時期にそういうところに行くっていうのは、どういう神経したらできるのかな、と(笑)

(笑)そういう意味で言ったら、私ちっちゃい頃から怖いもの知らずだったんですよ~。

― (笑)そうなんだ~。

母が心配するぐらい。多分母も今となっては何も・・・ま、安全だって分かったからなんですけど、心配だったと思います。

― 親はすごい心配するよね~!

19そこそこでカンボジアに行って(笑)、でも私が逐一報告して信頼してもらってたので、あなたなら大丈夫でしょって。

― こうしてるよ、ああしてるよって、ちゃんと報告があれば安心するからね。

でも行ってみて、やっぱ思ってる以上に、住めなくないって思いました。想像では地雷とかはあると思っていたんですけど、全く地雷もないですし、食べ物美味しいし。で、人が本当にあったかくて、カンボジア。なんか全然東京より幸せそうなんですよね~。うふふふ。

― そこがね~。うんうん。

途上国って、貧しい=幸せじゃないって思ってましたけど。

― そうそう、思っちゃうよね~。

全然こっちの方が幸せそうじゃんって思って、それから、やってあげようじゃなくて、お互いにいいとこ取りができたらいいな~って思って。

― その気持ちはいいね。どうしても日本的な考え方すると、貧しいし大変だから助けてあげようみたいな気持ちが、パって出てね、それも大事だし助かると思うんですけど。その「幸せそう」っていうのがすごいですね。

ホント幸せそうだし、楽しそうなんですよ。

― 何に対して幸せとか楽しみを感じるんですか。

もう街にいる人、みんなニコニコしてるんです。

― へ~、そうなんだ!

仕事も程よく雑で、なんか接客業務の人も携帯こうやってやりながらしてるんですけど、お客さんが来たら、「あ~、いらっしゃい♪」みたいな。全然悪い気がしない。どっちもストレスフリー。無理もしてないし、みんなが優しいというか、あったかい。なんかすごいハッピーな国だなってイメージですね。ま、それは農村部の方なんですけど。・・・今のカンボジアの首都は、鹿屋より栄えているんじゃないかなぁ。

― え~! そうなんだ。

カジノもあるし、高層ビルもあるし(笑)

― へ~、そうなんだ。刷り込まれたイメージがあるから、もっと現実を見ないといけないね(笑)

― 今、プロを教えるレベルのボイストレーニングをしてるじゃないですか。カンボジアも知ってるじゃないですか。それも組織的に作ってるじゃないですか。そうするとね、ガーって自分が前面に圧を出すぐらい強くなるじゃないですか。それは抑えているんですか?

(笑)いや元々、そうなんですよね。昔から・・・えっと徒競走とかあって、小学校とかで結構足が早い方だったんで、結構一番とか取ってたんですけど、なんか申し訳なくなって、後ろの子にわざと遅くしてとか。元々、何かきっかけはあったのかもしれないですけど、なんだろう・・・・人を立てたい。の方が楽。自分が一番でいるより、人を立てて補佐をするのが、すごい多分生きがいというか。

― 支えるのがすごい好きなんだよね。

だからミュージカルも好きだし・・・自分は自分は作品の中の一部じゃないですか。だからソロライブはちょっと向いてないなって思ったりします。

― また舞台に立ちたいとかは思わないですか?

機会があったら立ちたいんですけど、やっぱ稽古って、2か月ぐらい取られるんですよね。その間、バイトもしちゃいけないとか、なんか仕事しちゃいけないとかもあるところはあるので、今生徒さんも結構持ってるので、タイミングが合えばまた出たいなと思ってるんですけど。

― ブロードウェイの先生についても、おっしゃってるじゃないですか。もう、グローバルでそういういろんな繋がりがあるということですね。

そうですね。知り合いの教えてる先生のワークショップを受けたりとか、そういうのですけど・・・やっぱ東京に行ってから思うんですけど、こう繋がるんですよね。この人とこの人が遊びに来たりとか、その界隈ってすごく狭くて・・・

― すごい繋がる。東京のいいところだよね。

そうですね。だから、そこはやっぱ東京にしかないと思って、鹿児島じゃできないからって思って出たので。

― そうですよね。

― それでも鹿屋に毎年帰ってくるのは何でですか?

もう鹿屋が大好きで、鹿児島が大好きで、今でも住むなら鹿児島がいいんですよね。東京のあの混んでるところとか人混みは嫌いだし、あと、ずっとせかせかしてるみたいな。

― スピード感があるもんね。東京は。いつも動いてるからね。

慣れればいいんですけど、帰ってくると、はぁ~って落ち着く。

― 「おおすみ大好き!!」って叫びましからね(笑)

「おおすみ大好き!!」叫びましたよ~(笑)

★★★ミスコンテストへの挑戦★★★

― それで、さっきのミスコン・・・ビューティーなんとか(「「Miss Galaxy of Beauty(ミス・ギャラクシー・オブ・ビューティー) 2022」です!)、あれは自分を高めるためにって出たんでしたよね?

そうですね。きっかけは知り合いの方だったんですけど、ミスコンテスト出ないかっていうのがあって、自分がミスコン?って最初一回目断って。でも次ちょっと誘いがあった時に、なんかこう自分って今、教える側に立つことが多かったり、率きいる立場が多くなってたので、いや、でも自分もなんかチャレンジしとかないと生徒さんに示しがつかないなっていうのがあって、なんか常にこうチャレンジしていたいっていうのもあって、全く経験したことのない世界に飛び込もうと思って。

― お~。なるほど。

何か頑張ってないと、なんか腐っちゃうなと思って・・・。やっぱマンネリしちゃうじゃないですか。同じところにいると。だから、自分を奮い立たせるために、ミスコンテストに参加して、ウォーキングとか食事制限とかがあって、で、東日本ブロックっていうか東の関東の大会で準グランプリをもらって日本大会に。
【関連記事】https://rakukatsu.jp/2022-miss-galaxy-of-beauty-in-yokohama-20220519/

― わぁ~、すごい!

10月、日本大会があって・・・。

― 優勝?

いえ、ふふふ。その時は、SNS賞と、あとアップライブビジョン賞という配信アプリを使った配信審査もやってて。7月1日から3ヶ月間、毎日、最近流行っているライブ配信みたいなのを。初めてだったんですけど、それを毎日やって、で、持ち前の歌があったので、お話をずっとしてなくても歌を歌えたので、そういう歌から、まだ全くファンがいない状態だったので、一からファンを獲得して・・・

― え~、すごい!!

その配信アプリの中で、私が2位だったんですよ。で、投げ銭だったんですけど、高い順でそれが2位だったので、この間渋谷の大型のビジョンに名前とその大会の様子を流して頂いて。

【入賞結果】
SNS賞
1位 計盛麻衣(かずもりまい)
2位 宮園唯(みやぞのゆい)
3位 松村美里(まつむらみさと)

アップライブオーロラビジョン賞
1位 計盛麻衣(かずもりまい)
2位 松村美里(まつむらみさと)
3位 宮園唯(みやぞのゆい)

【関連記事】
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000108948.html
https://rakukatsu.jp/2022-miss-galaxy-of-beauty-in-yokohama-20220519/

― 東日本で準グランプリとかさ、すごいよね。なんかこれって、やっぱりトレーニングするんですか。トレーニングっていうか、トレーナーさんついたりするんですか?

そうですね。元々運営の方が、おっきな3大ミスコンの中の人で、新しいミスコンを作りたいっていう感じで始めたんです。で、その第1回目の大会だったんです。

― あ~、そうだったんだ~。

元々その運営代表の方も、世界大会第5位とかの人で、そんな世界レベルの人からウォーキング指導してもらって。ミスコンのための。

― うぉ~、すごい~。そうなんだ~! すごい貴重な体験だったね~。

いや~、もう本当に多分全然経験できないじゃないですか。

― 普通できないよね~。

本当に貴重な体験でした。だからそれに第2回って続いていくので、その運営の方からも、じゃあもっと第2回以降も盛り上げていこうねって言われて、ミスコンの運営のお手伝いもしていけたらと思います。

― そうなんですね。すごい~。

全く別の畑というか、違うフィールドだったので。

― ま、でも自分を表現するっていう意味では、一緒ですね。

一緒ですよね。めちゃくちゃ一緒でした。

― ヒメヒコからずっと繋がってるものがね、歌だったり、自分を表現するっていうところだったり。

なんか、あのミスコンは、内面を大事にするっていうのが目的だったんです。普通のミスコンって、整形して、体形も綺麗で、身長も高くてっていうのだけど、それを取っ払って、年齢制限も35歳ぐらいまでだし、身長制でもほとんどなくて、内面を見るっていうところに。なので逆に、ウォーキングに内面を出さなきゃいけない。それは難しかったですね。初めてだったので(笑)

― それは難しいね~!

「歩き」に性格を出すって、すごく難しい。

― その性格を出す、内面を出すっていうのは、審査員の人が引き込まれるような何かがあればいいってことなんですか?

それもそうですし、それが多分一番点数がつきやすいんですけども、例えば、自分がどういう女性になりたいかとか、どういう女性を目指しているかとかに、かっこよく歩けばかっこいい人になりたいなっていうのは、やっぱ分かると思いますし、逆に、温かみのある・・・私はどっちかっていうと、「太陽のような人になりたい」っていうテーマがあったんですよ。太陽みたいな人になりたいっていうテーマの元だったので、あんまりカッコよすぎても違うし、ちょっと温かみ・丸みを出すとか、そういうのをすごい指導してもらって。

― へ~! すごいなんか芸術だよね!

ですね。奥が深かったです!

― 綺麗なものとかを選ぶってことじゃなくて、芸術作品って言ったらおかしいけど、本当に芸術アートを見せてるっていうか、その人の、ね。

です! ダンスより難しかったです。歩くだけなのに(笑)

― いや~、すごい。芸術の高みだよ。

― それだけでもすごいんだけど、またカンボジアを知ってるっていう、そのバランスがね~(笑)

― (笑)そのね、まあまあ、そう、影響はあるかもしれないよね。「人のあたたかさ」が分かってるとかね。

そうですね。確かになんか全く違うジャンルですけど。

― 気取ってないしね~。気取っていいんだけど(笑)

― そうそう、私、ミスコン入賞よ!みたいなね。

― ミス入賞でも、鹿屋に来てくれるしね。

ついこの間、友達にもそれ言われました。なんかSNSとか見てくれてて、SNSだと、なんかすごいパキってしてるのに、会ったら田舎の子がいてって(笑)それも目指してたから、やった~っと思って(笑)

― ホントに心があったかいんだよ。

― いつまで聞いてても、あったかいもんね。そういうトレーニングをネット上でもやってほしいと思うぐらい。参加したいね。

― あ、私、すっごい生徒になりたい(笑)こんな、へなちょこでもいいですか?

(笑)

― そういう先生がいるとね、田舎もね。

― 私、そういう先生に歌すっごい習いたいんですけど。ボイストレーニングもだし、あと、それこそミュージカルの曲とか、そんなの教えてくれる先生が鹿屋にいたらな、って思いますね~。以前、福岡で(住んでたことがあって)習ってたことがあるんですけど、元気のいい若い先生でね、いわゆる時間から時間への「レッスン」的なレッスンで・・・。
それもいいんですけど、だからさっき唯さんの話聞いてて、本当にその楽しく歌えるっていう、その人の状況に合わせて、その時に楽しいという感情を出せるという、そんなのを私は求めていて、唯さんみたいな先生だったらね、楽しく歌えるだろうなって思ったのでね。
あ、レッスンの話はまた後で(笑)

(この後、渋谷の大型ビジョンでのミスコンの動画を見せてくれました)

― すごい~~!! 今のウォーキングしてた人?

これ、私でした。

― すげー! かっけー。

― この、青いドレスの?

はい、私です。

― うわぁ~、かっこいいわ~。女王様やん。ヒメを超えて、もう女王なのよ。でも、あたたかい(笑)

(笑)生徒さんたちも、(先生が)映ったんだよって言ったら、その先生に習ってるんだって嬉しいじゃないですか。

― ホントホント~。

自分の勇気に繋がればいいじゃないですか。

― 先生みたいになりたいなとか、ね。

そうそう、そう思われる先生。

― すごい大事なことですよね。

★★★鹿屋が大好き♪★★★

― 嬉しいなぁ。鹿屋出身者が活躍してて。

そうそう。私、鹿屋をもっとPRしたいんですよ。だから、結構勝手に東京の友達に鹿屋を推してます。私の周り鹿屋市が好きな人が多いんです。行ってみたいって(笑)

― 「かのやファン倶楽部」の会員になってもらうと、毎月抽選でプレゼントが当たるんですよ。焼酎とか~・・・。

え~、そうなんですか~! 私、焼酎とか好きなんですよ。小鹿とか(笑)

― 本当? 今月のプレゼントは、なんと、まさに「小鹿」の焼酎ですよ! 会員になって、ぜひ応募してください♪(笑)

― 芋焼酎飲むんだね~。

でもあっちで飲むって言うと、引かれちゃうんで言えないです。

― ですよね。ミスがね~、準グランプリがね~。「芋焼酎」って(笑)
ホント唯さん、自分の人生、あったかい人生を歩んでるな~って、すごく思います。これからも、頑張って下さいね!

はい、なんか還元できたらいいと思います。

― 今日は時間を作って下さって、楽しいお話をありがとうございました。

― ありがとうございました!

ありがとうございました。


かつて上演したリナシティ3Fホールの前で

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