鹿屋市鉄道記念館

大隅鉄道の歩み

大隅鉄道の歩み

  • 大正4年(1915年)7月11日
    私鉄「南隅軽便(なんぐうけいべん)鉄道」が鹿屋~高須(後の大隅高須駅)で開業。
    軽便鉄道とは、小型の機関車や車両を使う簡易な構造の鉄道でしたが、それでも鉄道は鉄道。古江までを目標に線路を伸ばしていきました。
    鹿屋驛:当時の駅所在地は、現在の鹿屋市向江町「三角池」の辺りだったそうです。
  • 大正9年(1920年)12月23日
    開業年の翌年「大隅鉄道」と社名を改め、この年には鹿屋~高山(後の大隅高山駅)間が開通しました。
    鹿屋驛:折り返し配線(スイッチバック)の中間駅となりました。
  • 大正10年(1921年)
    高山~串良間が開通。
  • 大正12年(1923年)
    悲願の、高須~古江間が開通しました!
  • 昭和10年(1935年)
    車文化の発展により、乗客数や貨物数が伸び悩んだため、利便性を高めるために鉄道を国に移管。これにより串良~志布志間が開通しました。
  • 昭和13年(1938年)10月10日
    線路幅を国鉄に合わせ広くする改修工事を行い、国鉄の大きな機関車が堂々走ることに!志布志から古江までがつながったことで、路線名も「国鉄古江線」と改称されました。
    鹿屋驛:駅を共栄町6895-31(現在の市役所の辺り)へ移転し、スイッチバック(折り返し)を解消する。
  • 昭和36年(1961年)
    線路はさらに遠く国分に向かって延ばされ、この年まず、古江~海潟が開通。残りは海潟~国分となりました。
  • 昭和47年(1972年)
    ついに、海潟~国分間が開通!これは、トンネルや橋の難工事や、国鉄赤字ローカル線廃止問題を垂水の6000人を超える熱烈な署名運動でクリアした結果でした。この開通で志布志~国分間がつながり、名称も「国鉄大隅線」と改称されました。
    総延長は98.3㎞、駅の数33、所要時間は普通車2時間30分、快速1時間30分でした。
  • 昭和50年(1975年)
    SL廃止。
  • 昭和54年(1979年)
    国鉄の赤字解消のためのローカル線廃止報告で、大隅線が対象の路線になってしまいました。
  • 昭和55年(1980年)
    いよいよ大隅線の廃止が現実的になってしまいました。
  • 昭和56年(1981年)
    「国鉄ローカル線存続鹿屋市期成同盟会」発足。地元の団体らが反対運動を行いました。利用者増につなげるため、カラオケ大会や、鉄道の旅と周辺のウォーキングといったイベントなどを企画実行。最後まで望みを捨てず、大隅鉄道存続のために、たくさんの人が知恵を絞って奮闘しました。
  • 昭和62年(1987年)
    地元の人たちが熱心に廃線反対運動を行いましたが、国の定める乗客の規定数に及ばず、
    残念ながら全線開通から15年で国鉄大隅線の廃止となりました。本当に本当に残念です!
  • 大隅鉄道の歩み
  • 大隅鉄道の歩み

美しい海沿いの景色、山間の景色を見ながら旅できる大隅線、地元の人たち・子ども達でにぎわうディーゼル車、乗ってみたかったなぁ~。

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